私の家で自殺騒ぎを起こし救急車にて搬送された彼女は病院で3針ほど縫合して自宅に戻りました。
朝になり再会しましたが鎮静剤の効果でやっと落ち着いた感じに。
そして驚愕の一言、「そうか、結婚すればいいんだ!」
えっ? 私は驚きました!
そして直ぐ彼女は両親の下に行き報告です・・・。
私は流石に親御さんは反対すると思っていましたが、甘やかして育てた娘には逆らえない・・・。あっさり了承です。
こうして私は彼女の家に婿予定とした同居するのでした。
同居したと言っても私は不安いっぱいです。
自分の家(アパート)は解約しないで荷物もほとんど置いていました。
結局は自殺騒ぎは何度か起こし私は1か月で自分の家に戻りました。
その1か月はほぼ寝れない日々で自宅に戻った時は数日寝るしか出来なかったです。
そんな私の「うつ病」はさらに悪化とかは無く、彼女の姿を見て「甘える相手が居て我儘し放題」はああも酷くなるのかと。
それから半年かけて彼女とは別れました。彼女は最後まで私には愛が無かったですね。
そして更に半年、静養して私の「うつ病」は治まります。
(実際は波が在り自分の精神状態の上げ下げが無い様に気を付けました)
そして無職になって1年3か月経過してようやく次の仕事へと就職したのでした。
これまでは製造業が多く久しぶりの営業職。
しかし、特殊な専門職。葬儀屋に就職しました!
私の担当は事前の営業や相談、亡くなった方の搬送から葬儀担当、司会と最初から最後まで担当です。
最初は上司に付き2週間勉強、そして通常より以上に早く独り立ちでした。
初めての担当はとある県のとある省庁のトップだった方で葬儀参列者の予定が500人・・・。
無茶ぶり過ぎたので司会は上司にお願いして担当業に専念。
その後は社葬から身寄りが居ない方まで幅広く担当して葬式を行いました。
7年間、多くのご家族の為に努めました。
この間、スーパー等で声をかけられる事が多くあり、「見た事がある!」と声をかけられたりw
市議会議員に出馬しないか?と言われた時は即、お断りしました。
(流石に政治は私には無理ですw)
この葬祭業に居た事で多くの死を見て、東日本の震災にも行き多くの死を見て、死と寿命や宗教を考えた時間でもありました。
そして葬儀屋を退職した私は未経験の仕事を選ぶのでした。
大型二種免許を取得して大型観光バスの運転手になるのでしたw
続く!